大江山アンソロ寄稿漫画
2024年に刊行された大江山アンソロ「雪原に告ぐ」に漫画を寄稿させていただきました!この7月から公開OKということで、掲載します。
素敵な機会をくださった主催者のさら様、作業中の唸りと(酔っぱらいの)うめき声を聴いてくださったフォロワー様方、アンソロ読者の皆様、改めて本当にありがとうございました!
山越え時の記事はこちら→ 28. 1023年11月前編
さて、今回取り上げたのは山越え当主の紅丸と、その息子の宗月でした。
プレイ記の方では大江山に出陣した組に焦点を置いていた上に、私自身、紅丸の深堀りをするか否かずっと悩んでいたので、今回のアンソロはちょうどいい機会かと思い、手を付けた次第です。
今回の漫画に着手するにあたり、ずっと迷っていたのが「彼の気持ちに名前をつけてもいいのだろうか」という点でした。大江山での結末を受けてなお、あのような優しい遺言を残した紅丸ですが、はたして本当はどう感じていたのか。悟りか、労りか、悲しみか、怒りか、はたまた憎悪か。ずっと紅丸の気持ちの奥底に目を向けてはいけないような気持でいました。
しかし、プレイ記の作業を進めていくたびに、それはどこか「彼を神聖視しているのではないか」と考えるようになりました。「お母さんだっておばあちゃんの子どもなのよ」と気づくのが怖い感覚に近いですかね。自分の親が泣いてるの見ると、ちょっとむずがゆくなりませんか?わたしだけか?そっか。
紅丸も人です。怒って泣いて、家族に育てられてきたこどものひとりです。このような事をふんわりと考えながら、あの4ページを描きました。やるせなかったでしょう。悲しかったでしょう。誰かに当たりたくもなるでしょう。目の前にいるクソ野郎の首ひとつ、刎ねたくもなるでしょう。 紅丸のあの行動が衝動的なものだったのかどうかは決めていませんしわかりません。もしかしたら、敵の寝首をかく、といった戦略的な行動だったのかもしれません。 彼の心情がどちらであれ、とにかく私の頭にずっとこびりついて離れなかった光景が、「黄川人の首を撥ねる紅丸」の絵でした。描けてよかった。
生首描写に関しては本当、大変お手数をおかけしまして...!
「下描きできた~!」
ーーー今更ながらもう一回HPを確認するカワウソーーー
「生首アカンやん!!!!!!!」
主催さまにご相談させていただき...はい...あの描写を許可いただきありがとうございました... 「首を落とす」は個人的に重要視していたので(鬼〇か?)、描かせていただけて本当に助かりました... あと、作業始める直前にモノ〇怪の映画を観てきてたので影響受けてましたね。美しかった。
ちなみに、首に生やしたアジサイの花は私が夏に撮ってきた写真を元に描きました。なんか脳みそみたいになっちゃった。
最後に、宗月は父親の「アレ」を殺意と解釈しましたが、私自身、そればかりではないのかと思っています。 しかしやはり、その気持ちの正体に名前を付けることは、今でも憚られます。いつか名前がつくかもしれないし、ずっと名無しの感情のままかもしれません。
そんな、ふわふわしたことを考えながら、液タブに向かっておりました。
大江山アンソロ、最高でした。
全ての一族様の苦しみに花束を。
そして幸あれ!
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